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面白かった漫画「うちがキングダム」続々レビュー

— 家庭内政はどこまで国家になるのか?第12話以降(最近話群)の論点整理

© Meguru Mori & Shion Satono / Shogakukan

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※ここから先はネタバレを含みます。


前回までの整理

前回(続レビュー)で僕がいちばん痺れたのは、「家族会議がイベントじゃなく、呼吸になった」点だった。議題→素案→反対→修正→暫定施行→再評価。これを日常のOSとして回し始めると、生活は軽くなるのに、読後になぜか机の上が片付いている。あれは漫画の読後感というより、家庭内の意思決定プロトコルを一段上げられた感覚だった。

で、続々(今回)で面白いのは、そのプロトコルが「家の中」だけに留まらなくなるところ。福祉(家出予防)を費目化し、財政規律を時限措置で運用し、近所や学校の外部政と折衝する。ここまで来ると国家の骨格はほぼ揃う。あとは何が必要か?──そう、「司法」「教育」「情報」「労働」だ。最近話群の手触りは、その領域に踏み込んだ時の気持ち良さと怖さを同時に出してきている。

国家化って、テンションが上がるんだよ。だって「うまく回れば楽になる」から。でも同時に、制度が強くなり過ぎると息が詰まる。優しさが制度化すると漏れが減る。けど、漏れが減るってことは「逃げ場」も減る。家庭という小国が成熟するほど、個人の気分の亡命先がなくなる。この二律背反が、続々のいちばん美味いところだと思う。


司法=罰と赦し、そして「例外」をどう扱うか

家庭内政が国家っぽくなる瞬間は、ルールを作った時じゃなく、ルール違反が起きた時に来る。誰かが約束を破る。誰かがサボる。誰かが言い逃れをする。その時に「ブチ切れる」か「握りつぶす」か、あるいは「裁く」か。最近話群がうまいのは、この裁きをギャグで包んだまま、制度として成立させようとしてくるところだ。

家庭の司法でいちばん厄介なのは、罰が目的化しやすいこと。怒りを正当化するために罰を作ると、司法は復讐装置になる。でも『うちがキングダム』の家は、罰を「再発防止」と「関係修復」に寄せようとする。ここが政治漫画として強い。怒りは自然発生する。けど、怒りの扱い方にルールを当てると、家庭は壊れにくくなる。

ただし副作用もある。司法が整うほど、例外の扱いが難しくなる。体調が悪い、気分が沈んでる、学校で何かあった、理由が言えない、言いたくない。こういう時、人はルールを破る。で、制度が成熟してる家ほど、「ルール違反=処理対象」として扱ってしまう危険がある。つまり、心の痛みまで手続きで処理してしまう。

この漫画の面白さは、そこを制度の柔らかさで踏ん張るところにある。罰を重くしない。代わりに「記録」と「次回の調整」で回収する。家庭の司法は、刑罰よりも行政処分に近い。ペナルティというより、配分変更。担当替え。期限延長。再協議。これ、笑いながらやってるけど、現実の家庭でも一番効くやつだと思う。家庭は刑務所じゃないし、国家であって国家ではない。だから赦しは甘さではなく運用なんだよね。


教育=主権の継承、「学校」という別国家との二重所属

国家に教育が必要なのは、次の世代が“同じOS”で動けるようにするためだ。家庭でも同じ。ところが家庭の教育は、学校という巨大な別国家とぶつかる。ここが地方移住ものとしてもリアルで、笑いながら胃が痛い。家のルールでうまく回し始めた矢先に、「学校のルール」「地域の慣行」「クラスの空気」が襲ってくるから。

最近話群で見えるのは、ミキが翻訳官として成長していくところだと思う。前回までのミキは、家庭内の論点を言語化して合意形成する政治家だった。でも教育フェーズに入ると、彼女は「家のルールを外に通訳する」「外のルールを家に移植する」役になる。これは政治家というより官僚に近い。制度の接続担当。

ここで重要なのは、子ども(=ミキ自身や弟)が二重所属になるという事実だ。家の国民であり、学校の国民でもある。二重所属はアイデンティティを揺らす。家で正しいことが学校で浮く。学校で正しいことが家で摩擦を生む。だから教育は正しさの注入じゃなく、場に合わせた運用の学習になる。『うちがキングダム』が上手いのは、その運用を「規範」じゃなく「段取り」に落とすこと。正義を叫ばず、議題化して、試行して、更新する。

ただ、教育制度はときに残酷だ。なぜなら「子どもに覚えさせたいのは親の価値観」なのに、「子どもが適応しないと困るのは社会」だから。親は理想を語りたくなる。でも社会は、まず遅刻しないこと、提出すること、空気を読み過ぎないこと、読まなさ過ぎないことを求める。この板挟みを、ミキは政治の言葉で救おうとする。その姿が笑えるのに切ない。国家は教育で未来を作る。でも家庭は教育で今日を回す。ここが違う。そしてこの違いが、物語の圧を上げていく。


情報=噂・評判・沈黙、「家庭内広報」の怖さ

家庭が国家になった時、いちばん早く暴走するのは軍じゃなくて、たぶん情報だ。噂は光速で回る。評判は勝手に固まる。沈黙は誤解を増やす。最近話群の空気にあるのは、「家庭内広報(PR)を誰が握るか」という怖さだと思う。

家庭内で起きたことは、本来は外に漏れなくてもいい。でも地方移住×近所コミュニティの濃度の中では、生活の些細な更新がニュースになる。ゴミ出し。挨拶。自治会。学校行事。買い物ルート。全部が観測される。観測されると、人は物語を作る。「あの家はこうだ」という物語を。ここで家庭内政が成熟していると、逆に綺麗に説明したくなるんだよね。説明すれば誤解は減る。でも説明し続けると、家庭は広報業務で疲弊する。

ミキの「説明するねーーー」って語り口は、作品の体温であり、武器でもある。
ただし武器は、使い過ぎると刃が鈍る。説明し過ぎると、説明しない自由がなくなる。家庭は常に透明であるべきじゃない。国家でもそうだ。透明性は正義だけど、透明性の強要は暴力になる。『うちがキングダム』の面白さは、ここをギャグの軽さで誤魔化しながら、ちゃんと論点として置いてくるところ。

だから続々で効いてくるのは、「沈黙の扱い」だと思う。説明しない日。言わない権利。察してほしい気分。言葉にすると壊れるもの。制度が成熟した家ほど、言語化できないものを「未処理のタスク」として扱いがちになる。でも人間は、未処理のまま抱える箱も必要なんだよね。家庭内広報は、説明する力と同じくらい、説明しない境界線が必要。国家が情報で国民を統治するように、家庭も情報で家族を統治できてしまう。その危険を、作品は笑いの温度のまま見せてくる。そこが怖くて、だから面白い。


労働と経済=家計の先にある「価値交換」の設計

前回までで家計は「財政規律」「補正予算」「時限措置」まで整ってきた。
続々で一段深くなるのは、家計が数字の管理から価値交換の設計に寄っていくところだと思う。つまり、誰が何をやって、何が報われ、何が見えなくなっているか、を再配線し始める。

家庭の経済でいちばん厄介なのは、労働の価値が見えにくいことだ。炊事、片付け、買い出し、調整、気遣い、謝罪、段取り。これ全部、働いてるのに給料が出ない。だから不満は溜まる。『うちがキングダム』がすごいのは、それを「担当表」や「権限移譲」や「選択権の分配」で可視化して、しかもギャグにするところ。制度化って、笑える形でやるのが一番成功率が高い。

でも価値交換の設計に踏み込むと、次の課題が出る。「やった分だけ偉い」になりがちなんだよ。成果主義が家庭に入ると、家は一気にブラック企業化する。だからこの作品がやっている(ように見える)のは、成果主義ではなく持続主義。頑張りを称えるより、摩擦を減らす。誰かの頑張りを前提にしない。頑張りが発生したら、次回は制度を直して頑張りを減らす。これが政治の筋の良さ。

さらに続々で面白いのは、家庭の外の経済(近所、学校、地域の商店会)と接続した瞬間、家庭内の価値交換がズレることだ。家の中では通用する交渉術が、外では通用しない。外の価値基準が家に侵入してくる。例えば「世間体」「常識」「昔から」「みんなやってる」。これらは税金みたいに徴収される。徴収されるのに、見返りが不明。だから不満が生まれる。ここでミキたちは、それを費目化しようとする。あるいは時限措置にする。これが笑えるのに、めちゃくちゃ現実的で、刺さる。家庭の経済は財布の話じゃなくて、価値の話なんだ、と改めて気付かされる。


キャラクター観察:ミキ/父/弟の役割進化

ミキは「王女」という肩書きの割に、やってることはずっと泥臭い。会議の司会、議題整理、翻訳、根回し、そして時々、感情の爆発。彼女の強さは、正しさじゃなくて運用への執着だと思う。正しさを押し付ける人は多い。でも運用を回す人は少ない。ミキは回す。回すから、家庭が国家になっていく。で、国家になった分だけ、彼女は疲れる。そこが切ない。

父は首相格であり、財務局であり、現実担当の宰相だ。前回までで彼の「時限措置」感覚が定着して、家計が筋の通ったフィクションとして回り始めた。
続々で父が面白いのは、彼が制度の硬さを知っているからこそ、制度の抜け道も用意し始めるところ。抜け道って言うとズルいけど、家庭に必要なのはズルではなく余白。余白がない制度は、人を壊す。父はたぶん、そのギリギリを嗅ぎ分けている。

弟は相変わらず野党なんだけど、野党の質が上がっている。反対のための反対ではなく、拒否権を使って制度を改善する少数派。これ、国家運営の中で一番重要な存在だと思う。与党は勢いで走る。官僚は整える。野党が止める。止めることで筋が通る。弟の凄さは、感情の反対を論点に変換できるところだ。嫌だ、やりたくない、ムカつく。そういう生の反応を、制度が取り込める形にする。家の中で一番民主主義をやっているのは、実は弟かもしれない。

3人とも、肩書きじゃなく癖で役割が決まっていく。癖が制度を作り、制度が癖を矯正し、矯正が進むと今度は新しい癖が出る。『うちがキングダム』は、その循環をギャグの速度で回すから、読者は笑って読めるのに、読み終わると「うちの制度も直したい…」ってなる。国家は旗じゃなく、癖の総和で立ち上がる。家庭も同じだ。


まず前回までを読み直すなら

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まとめ:国は旗ではなく、例外処理で立ち上がる

続々で見えたのは、家庭内政が「うまく回る」方向へ洗練されるほど、同時に「息苦しくなる」危険が増える、という当たり前で一番怖い真実だった。福祉を費目化すると安心が増える。財政規律を時限措置にすると摩擦が減る。外交をメモで回すと交渉がラクになる。でもその全部は、制度が個人の気分を回収できるようになる、ということでもある。回収は便利だ。けど、回収され過ぎると、気分は逃げ場を失う。

だから国家化の成熟は、制度の強化だけじゃなく、制度の柔らかさが必要になる。司法なら赦しの運用。教育なら二重所属の翻訳。情報なら沈黙の権利。経済なら成果主義ではなく持続主義。『うちがキングダム』は、そこを説教で描かない。ギャグで描く。テンポで回す。だから読者は笑いながら、ちょっとだけ自分の家庭の制度を疑う。で、次の食卓で、議題を一つだけ上手く置けるようになる。これがこの漫画のいちばんの魔法だと思う。

国は旗で立つんじゃない。ルーティンで立つ。
そしてルーティンは、例外処理のうまさで強度が決まる。
『うちがキングダム』は、家庭を国家に見立てたギャグ漫画の顔をしながら、実は例外処理の物語を描いている。だから面白い。だから、何度も読まれてしまう。

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